はじめに|遺言書は本当に必要なのでしょうか
親が亡くなった後、「遺言書は残っていないのだろうか」と探した経験がある方もいるかもしれません。
実際には、「まだ早い」「財産がそれほど多くない」「家族仲が良いから大丈夫」と考えているうちに、遺言書を作成しないまま相続を迎える家庭も少なくありません。
しかし、相続が始まった後になって、「お父さんは本当はどうしてほしかったのだろう」「誰に何を残したかったのだろう」という話題が出ることもあります。
相続には法律上のルールがある一方、それぞれの家庭には個別の事情があります。遺言制度は、その両者の間にあるズレを埋めるための仕組みです。
では、どのような場合に遺言書を作成しておく意味が大きくなるのでしょうか。
遺言書がなくても家族は財産の分け方を決めなければならない
まず知っておきたいのは、遺言書がなくても相続手続きそのものは進むということです。
例えば、父親が亡くなり、母親と子ども二人が相続人になった場合には、
・ 自宅を誰が引き継ぐのか
・ 預貯金をどのように分けるのか
・ 不動産を売却するのか
といったことを相続人全員で話し合い、財産の分け方を決めていきます。
つまり、遺言書がない場合には、家族による話し合いを通じて財産承継が進められます。もちろん、それで問題なく進む家庭もあります。
一方で、「本当は妻へすべて残したかった」「この不動産は長男へ承継してほしかった」という考えがあったとしても、生前に家族へ話していただけでは、その人が財産を取得することが法律上確定するわけではありません。遺言による指定がなければ、相続が始まった後に相続人全員で取得者を決めることになります。
そのような場面で、本人の意思を財産承継へ反映する役割を果たすのが遺言制度です。
遺言書の検討は「遺言書がない場合の相続」と「本人の希望」がズレるとき
遺言書を作成するかどうかは、「自分が望む財産の残し方」と「遺言書を作成しなかった場合の財産承継」が一致するかという視点から考えると分かりやすくなります。
例えば、
・ 配偶者へ財産を集中させたい
・ お世話になった人へ財産を渡したい
・ 事業を継ぐ子どもへ事業用資産を集中させたい
・ 特定の不動産を取得する人を決めておきたい
という考えがある場合です。
こうした希望は、遺言による指定がなければそのまま実現できるとは限りません。そのため、被相続人の考えを相続へ反映する仕組みとして遺言制度が用意されています。
子どもがいない夫婦で配偶者へ財産を残したい場合
夫婦二人で暮らしていると、「自分が亡くなったら財産は妻(夫)が引き継ぐだろう」と考える方も少なくありません。
しかし、子どもがいない場合でも、配偶者だけが相続人になるとは限りません。配偶者は常に相続人になりますが、子どもがいない場合は、まず父母などの直系尊属が、直系尊属もいなければ兄弟姉妹が相続人になります。
例えば、夫が亡くなり、妻が自宅に住み続けたいと考えていても、他の相続人がいれば、その自宅を含めた財産の分け方を決めなければなりません。夫婦の間では「当然、妻が自宅を引き継ぐ」と考えていたとしても、相続が始まれば法律上の相続関係に沿って手続きを進めます。
そのような場面で、「財産はすべて配偶者へ残したい」という考えを示しておく方法の一つが遺言書です。ただし、他の相続人が誰になるかによって状況は異なります。
相続人が配偶者と兄弟姉妹になる場合、兄弟姉妹には遺留分がありません。そのため、全財産を配偶者へ承継させる遺言を作成しておけば、兄弟姉妹との遺産分割を経ずに配偶者への承継を進めやすくなります。
一方、父母などの直系尊属が相続人になる場合には遺留分があります。「子どもがいない」という同じ家族構成に見えても、誰が相続人になるのかによって、遺言書を作成するときに考えるべき内容は変わります。
内縁のパートナーや相続人以外へ財産を残したい場合
長年一緒に暮らしていても、法律上の婚姻関係がない内縁のパートナーは法定相続人にはなりません。
また、
・ 長年介護をしてくれた人
・ 親しい友人
・ お世話になった親族
なども、法定相続人でなければ相続によって当然に財産を取得することはありません。
本人として「自分が亡くなった後は、この人へ渡したい」と思っていても、その希望を伝えているだけでは財産の承継先は決まりません。
個人に限らず、「母校へ寄付したい」「支援している団体へ役立ててほしい」という考えを持つ方もいます。
そのような場合には、遺言書によって財産を渡したい相手を指定できます。特定の人や団体へ財産を残したいという意思が明確であれば、生前に財産の承継先として示しておく意味があります。
特定の相続人へ多く承継させたい場合
家族の状況はそれぞれ異なり、長年介護を続けてくれた子どもがいる場合もあれば、家業を引き継ぐ予定の子どもや、賃貸不動産の管理を任せている家族がいる場合もあります。
しかし、相続が始まった後の話し合いでは、こうした事情だけで財産の取得者や取得割合が決まるとは限りません。
そのため、「この財産はこの子どもへ承継してほしい」という考えがある場合には、遺言書によって意思を示しておく意味があります。
もっとも、遺言書を作成しても、すべて希望どおりに承継できるとは限りません。一定の相続人には、遺留分という最低限保障された取り分があるためです。
遺留分を侵害する内容の遺言であっても、そのことだけで遺言自体が当然に無効になるわけではありません。一方、遺留分を侵害された相続人は、財産を多く取得した人などに対して、侵害額に相当する金銭を請求できます。
例えば、事業を継ぐ長男へ事業用資産や不動産を集中させる内容にしても、他の相続人から遺留分侵害額を請求され、長男がその金銭を支払えなければ、想定していた承継が難しくなります。
そのため、誰へ何を残すかに加えて、その内容を相続開始後に実行できるかまで考えておくことが重要です。
相続人がいない、または兄弟姉妹だけになる場合
独身で子どもがおらず、両親もすでに亡くなっている場合には、兄弟姉妹が相続人になることがあります。また、兄弟姉妹もおらず、法律上の相続人がいないケースもあります。
そのような場合、「お世話になった人へ財産を残したい」「母校へ寄付したい」「地域活動へ役立ててほしい」という考えがあっても、遺言による指定がなければ、その希望どおりに財産が承継されるとは限りません。
相続人がいない場合、遺言によって承継先を定めていなければ、相続財産清算人による清算手続が行われます。債務の支払いなどを終え、特別縁故者への財産分与が認められた場合にはその処理を行い、それでも残った財産は最終的に国庫へ帰属します。
本人が「この人に残したい」「この団体に役立ててほしい」と考えていたとしても、その意思が当然に実現される仕組みではないため、遺言書によってその意思を財産の行き先へ反映することに意味があります。
※誰が法律上の相続人になるのかによって、遺言書を作成する意味は大きく変わります。
相続人がいないケースや相続人調査については、以下の記事で詳しく解説しています。
「相続人がいないと財産はどうなる?|最終的な帰属先と処理の流れ」
「相続人はどのように決まるのか|なぜ相続人調査が必要になるのか」
不動産が中心で分け方に悩みそうな場合
相続で話し合いが長引く原因は、財産額よりも分けにくさにあることがあります。家族仲が良い場合でも、不動産については、誰が取得するのか、住み続けるのか、売却するのかを決めなければなりません。
例えば、自宅、賃貸アパート、駐車場用地などを所有している場合です。
現金であれば金額ごとに分けることができますが、不動産は簡単には分けられません。自宅には配偶者が住み続けたい、賃貸アパートは長男が管理している、しかし他の相続人にも相続する権利があるという状況でも「誰が何を取得するか」を具体的に決めることになります。
そのため、「この不動産は妻へ」「このアパートは長男へ」という考えがある場合には、遺言書によって取得者を定めておく意味があります。
ただし、不動産や事業用資産を特定の人へ集中させる場合には、他の相続人に遺留分があれば、その権利への影響や、金銭での対応に充てられる財産があるかも考慮します。取得者を決めるだけでなく、その承継内容を実際に実行できるかまで見通しておくことが重要です。
遺言書を作成するか迷ったときの考え方
遺言書を作成するかどうかは、財産の多寡だけで決まるものではありません。自分が亡くなった後、
・ 誰にどの財産を承継してほしいのか
・ 配偶者は生活を続けられるのか
・ 家族だけの話し合いで決まりそうか
・ 特定財産を特定の人へ残したいのか
という視点から考えることが大切です。
ここで一度、遺言書を作成しなかった場合の相続を想定してみると分かりやすくなります。
誰が相続人になるのか、自宅は誰が取得するのか、預貯金や不動産はどのように分けるのか、自分が財産を残したい人はそもそも相続人なのかを整理し、その結果と自分が希望している財産の残し方を比べます。
両者が一致しているのであれば、遺言書を作成する実益は相対的に小さくなります。
しかし、「妻に自宅を残したい」「事業はこの子に継いでほしい」「この人にも財産を残したい」など、遺言書がない場合の相続とは異なる希望を持っているのであれば、遺言書を検討する意味が大きくなります。
法律には相続のルールがありますが、それだけですべての家庭事情や本人の希望が決まるわけではありません。法律上の相続と本人の希望との間にあるズレを、どこまで生前に埋めておくかが、遺言書を作成するかどうかを判断するポイントになります。
※遺言書の作成に関する専門家の支援や費用については、以下の記事で詳しく解説しています。
「遺言書は誰に相談する?|行政書士・司法書士・弁護士の選び方をケース別に解説」
「遺言書作成の費用はいくらかかる?|公証役場・専門家費用を解説」
遺言を検討する意味があるのはこんな場合
ここまで見てきたように、遺言書を作成するかどうかは、単に財産額だけから判断するものではありません。
例えば、
・ 配偶者へ優先的に財産を残したい
・ 内縁のパートナーや相続人以外の人へ財産を渡したい
・ 事業や不動産を特定の人へ承継したい
・ 子どもごとに異なる事情がある
・ 不動産が多く、誰が取得するかを決めておきたい
・ 相続人がいないため、財産の行き先を指定したい
・ 遺言書がない場合は、自分の希望どおりの承継になるとは考えにくい
という事情があれば、遺言書の作成を検討する意味があります。
これらに当てはまる場合でも、直ちに遺言書を作成しなければならないわけではありません。
重要なのは、家族構成や財産内容に加えて、遺言書がない場合の相続と、自分が希望する財産承継との間にどのようなズレがあるのかを確認することです。
そのズレが大きい場合には、誰に何を残すかだけでなく、その内容を実際に実行できるかまで考えておくことです。
まとめ|遺言書がなくても自分の希望は実現しそうか
遺言書は資産家だけのための制度ではありません。自分が亡くなった後、誰に財産を承継してほしいのか、配偶者にどのような生活を続けてほしいのか、家族へどのような形で財産を残したいのかという考えを、財産承継へ反映するための制度です。
相続制度には、誰が相続人になるのか、どのような権利を持つのかという法律上の枠組みがあります。しかし、「自宅は妻へ残したい」「事業用資産は長男へ承継させたい」「相続人ではないこの人にも財産を残したい」といった本人固有の希望まで決まるわけではありません。
だからこそ、遺言書を作成するかどうかを考えるときは、「財産はいくらあるか」とともに、「遺言書がなくても、自分の希望する財産承継は実現しそうか」という視点から考えることが大切です。
そこで希望と遺言書がない場合の相続との間にズレが見つかれば、次に、そのズレをどのような遺言内容で埋めるかを考えます。さらに、遺留分を持つ相続人がいる場合や、不動産・事業用資産など分けにくい財産がある場合には、希望を書き残すだけでなく、その内容を相続開始後に実行できるかまで確認しておくことが重要です。
まずは、家族構成、所有している財産、誰に何を残したいのかを書き出してみると、自分の場合に遺言書で決めておきたい内容が見えやすくなります。
自分だけで承継方法を組み立てることが難しい場合には、家族構成と財産内容、希望する承継先を整理した段階で専門家へ相談し、それらを実際の遺言内容へ反映する方法があります。
※遺言書の作成や作成後の相続手続の流れについては、以下の記事を参考にしてください。
「遺言書があると相続手続きはどう変わる?|ない場合との違いを解説」
「遺言書作成は自分でできる?|専門家へ依頼する場合との違い」
「遺言書は誰に相談する?|行政書士・司法書士・弁護士の選び方をケース別に解説」